FOCUS
年頭にあたって

理事長 金子 由美子
 あけましておめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
 今年新年、東京や近県はわりと穏やかな天気だったと思いますが、日本の全体を見ると荒れた厳しい天候になったとニュースは報じていました。
 そして社会も、年が明けてさらに厳しさを増している感があります。そうしたなかで迎えた新年ですが、そうしたこともすべて大きな示唆として受け止めていくことかな、と思ったわけです。
 私自身の年の瀬から年始は、いつもの年と違い、息子の所属する野球チームの冬の合宿があり、私たちも父母協力としてその合宿に行ってきました。そして大晦日は、山のような泥だらけのユニフォームの洗濯との挌闘でした。
 そのように母親として忙しい時を過ごすなかで、年始は主人と息子と一緒に実家にも帰り、両親と過ごすなかで命の繋がりを感じ、姉夫婦とも一緒の時間をもてたことを、とてもありがたく思いました。
 そのように忙しく過ごしたためか、正直なところ、あまりお正月気分はありませんでしたが、テレビでニュース番組などを見ていると、厳しい社会状況のなかで、やはり正月気分でなかった人も少なくなかったのだ、と思いました。
 年末の仕事納めのときにもお話ししましたが、昨年七回忌を迎えた11月29日の創設者 野村佳子初代理事長のご命日を境にして、私は何かまた新たな一歩を踏み出した気がしています。
 そして、例年とは違ったお正月を迎え、そうしたなかで改めて「節目」というものの大事さを思いました。一年の終わりと始まりを、自覚し、意識して迎えることはとても大事なことなのだ、と。忙しいからこそなおさらに、一年の「節目」というものの意味の大きさを思ったのでした。
 昨年の11月29日、祥月命日当日に、七回忌の法要をさせていただいたそのとき、7年前の創設者が亡くなられた日とピタッと重なった感覚が私にはありました。
 その7年前をふり返ってみると、創設者が亡くなられたその日に、私は理事長という役を頂戴して、そのときの私は先が真っ暗≠ニいう気持ちだったわけですが、とにかく考えていたことは「野村理事長はいったいどうやって進んでこられたのだろうか」と、そのことにひたすら思いを馳せていました。そのようにして次世代の理事長としての役をスタートして、「野村理事長はどうやってこられたのだろう、私はどうしたらいいのだろう」、常にその思いをもって進んできたと思うのです。
 でも、7年後の今、私が何を思っているかと言いますと、「野村理事長はどう進んでこられたのか」と同時に、「その後私たちはどう歩んできたのか」、さらに「これから私たちはどう進んだらいいのか」を思っているわけです。そこに「過去、現在、未来を考えている今がある」ということを、自覚に上らせていただいています。
 時代の変化は急ピッチです。このお正月を通ってみて、改めて自分の子ども時代と、今の息子たち世代の過ごし方を比べたとき、いかに違うかを思いました。
 私が子どもだった1960年代から今年2010年まで、50年経っているわけですが、その間、取り巻く環境は様変わりしています。
 昔は、兄弟や従兄弟、親戚も多かったですし、お正月というと一族が集まり、子どもたちは、羽根つき、凧あげ、独楽回し、家のなかでは双六、福笑い、歌留多、そうしたもので遊んだものです。
 ところが今は、少子化が進むなかで、大家族で過ごす家庭は少なくなっているでしょうし、子ども同士もゲーム機などで遊ぶのが主流でしょう。
 また新聞の記事のなかで、子どもを外で遊ばせることの危機感が親の間でも強く、外遊びが少なくなっている、その結果、子どもの体力低下傾向がある、と書かれていました。
 1月1日のニュースや新聞記事で見ましたが、国際宇宙ステーションに5月まで滞在する野口聡一宇宙飛行士が、新年の挨拶をその宇宙ステーションからされていましたね。そのシーンのバックに羽子板や注連飾(しめかざ)りがありました。それを見て「羽子板が宇宙空間にあるなんてすごいな」と思ったのです。まさに科学の時代、しかも日本人宇宙飛行士が何人も出てきている時代を、私たちは生きているわけです。1960年代初頭にはまだ人類は月にも行っていなかったわけですが、今や何カ月間も宇宙に滞在するようになっているのですから、ほんとうにこの50年間の変化は大きいなと思います。
 また、やはり新聞で毛利衛さんの記事を読み、実際に宇宙を飛んだ方の言葉としてとても心に残りました。スペースシャトルで地球に帰ってきたときに、シャトル内では酸素と窒素で人工空気を作っているのだそうですが、地球の空気はそれとはぜんぜん違うのだそうです。地球の空気には臭いがあって、黴菌や微生物がウヨウヨしているような空気なのだ、と。毛利さんは「あゝ、これがないと人間は長く生きられないなと感じた」とおっしゃっていました。
 人工の環境のなかに隔絶されて過ごし、地球に戻ってきたとき、他の生命との関わりの重要性が身に染みてわかった、ということをお話しになっていました。「共に生きる」「生かされている」ことを、実感されたということだと思います。
 しかし、現実の私たちの環境は、宇宙広しといえども、今のところ生物が生きられる星は地球しかない、と言われていますね。それなのに、その地球が大変な事態になっている。最近「地球環境にやさしく」ということがよく言われますが、地球が無限の宝庫であると勘違いしていたことを、人類がまず反省することが先なのではないか。他でもない人類が開拓し、汚してきてしまったわけでしょう。その地球に「やさしくなる」という前に、自らがそれを壊してきたことの反省をまずしなければならない。創設者は、そうした意味合いのことを、ずっと私たちに言ってきてくださったと思います。
 今、地球人として、人間同士が共に生き合うことを考えなければならないし、人間同士だけでなく、他の生物とも生き合っていくことを、ほんとうに真剣に考えなければならない時代に来ているわけです。
 これは理想の話ではなく、現実の話です。そのことを大人たちがほんとうに自覚して、そして子どもたちにもそのことを伝えていかなければならないのです。子どもたちが生きる地球ですから。
 昨年12月にコペンハーゲンで「COP15」という会議がありました。第15回国連気候変動枠組条約締約国会議という長い名称の会議で、世界の大半の国の首脳が参加したわけですが、それだけ地球が危機的状況にある、ということだと思います。それにもかかわらず、国際社会の足並みは乱れ、CO2排出の削減がなかなか合意に至れず、京都議定書で目標に掲げた数値もなかなか現実化できていない。その間にもCO2の排出量はますます増えているという現実があるわけです。
 しかし私は、たとえ合意には至れなかったにしても、最初のステップとして、まずは世界が集まったことに、非常に大きな意味があったのではないかと思いました。集まらなければ食い違いがあることもわからないし、それを調整することもできない。今の地球の状況を背景に、それを共通の課題として向き合おうとしたことは、大きなことではないかなと思います。
 でも、それはひとつ成果ではありますが、現実の地球を考えたときには「至らない」では済まされないわけです。そうした事態に私たちの地球環境はあることを、私たちは今、もっと真剣に考えなければいけないと思います。
 人類の歴史は、文明の進化と共に領土を広げ、開拓してきた歴史だと思います。しかし日本は、周囲を海に囲まれた島国という地理的条件のなかで、どちらかというと、外に向うことよりは共有することをしてきた長い歴史をもちます。
 最近改めて、江戸時代が循環型社会として脚光を浴びているようですが、それはそうした地理的条件下での日本の歴史によるのでしょう。
 こうしたことを考えていくと、日本は環境問題に対しても、とても大きな役割をもっていると思います。
 創設者は、日本の特徴として
「神道と仏教が共存し、クリスマスも祝うなど他宗教に寛容である」「和を尊ぶ協調の精神をもつ」「世界で唯一の被爆国である」「極東という地理的条件から、世界のあらゆる文化を包摂してきた歴史をもつ」そして「そうしたことの根底に、万物万象に命を見、心を入れて見るアニミズムの精神がある」、ということを私たちに教えてくださってきました。
 もし私たちがそのことをより深く自覚し、自分たちのなかに掘り起こしていったなら、21世紀の地球にどれほど大きく貢献できるかを改めて思います。
 私たちは、自分たちのなかにそうした精神があるということすら知らなかったですし、知っていてもそれは何かつまらないもの≠ニいう価値観でいたと思います。そこに本当に大事な価値とは何かを創設者が教えてくださるなかで、私たちは無自覚のうちにもそうしたものを掘り起こしていただいてきた。だから、一人ひとりが足もとで調和になっているのです。
 そのことの意味をより深く自覚して、それを自分たちのなかにくり返しくり返し刻んでいき、それを次世代に伝えていくことが、今、ほんとうに大事だと思います。
「アニミズムの精神」という言葉自体を、どれだけの人がここで学ぶ前から知っていたでしょうか。まだ私たち世代は「お天道さまに申し訳ない」といった言葉や、「お父さんのお給料には汗や涙がしみ込んでいる」といった言葉を、親世代から聞いて知っています。でも、私たちのなかにそうした精神性があるか否かで、今や給料はカードで引き出してくるものですから、お金は単にお金になってしまうわけです。日本の長いルーツをもつ子どもたちであっても、そこに意図的にその価値を伝える人がいなければ、その価値には気づけないし、掘り起こせない。次代に渡すということを踏まえた上での、その価値の自覚が求められていると思います。
 物の世界の開発が急ピッチに進んだこの50年でしたが、この先10年を考えるとき、今までの価値観に引きずられていったら、必ず悪化の一途をたどるはずです。
 科学技術が発達し、IT化が進む時代、ますますスピードの速い、忙しい時代になっています。時代に追われ、流されがちな私たちに今一番大事なことは、時代に流されない、時代を誘導する精神、心を引き出すことではないでしょうか。私たちはこの学びを通して、その精神を啓きだしていただいてきたわけです。そのことを自覚し、それを次代に繋げていくことです。
 このように時代が進んできたとき、幸福とは物の開発だけで得られるものではないことを、多くの人が実感してきているとは思います。幸福感とは物心共の充足感なのだと。
 物質的に満たされても、心が苦しみを抱えたときには不幸と感じるし、たとえ物質的には貧しくとも、心が豊かであれば幸福感を感ずるはずだと私たちは学びます。
 本当の豊かさを感じられる、心・身のバランスのとれた人間をつくる。効率や成果といったことばかりが求められがちな今こそ、そこに目に見えない精神、心をつくっていくことの重要性に、皆が改めて覚醒していかなければならないと思います。
 ほんとうに大事なものは、概して目に見えないものです。だからこそ、目に見えない精神、心をつくっていくことがいかに大事かということです。
 そして、そうした目に見えない精神に関わる作業が教育ですし、どんなにスピード化した時代になろうとも、その教育作業というものは時間のかかるものなのです。目標を実現するには時間がかかるのです。それは人間がやることだからです。
 ですから、理想を捨てるのではなく、その理想にまず足もとから向かっていく。このスピード時代では、すぐに「できない」という結論になってしまいがちかもしれませんが、人間をつくるにはそれだけ時間がかかるのだと、私たちは構え直していきたいと思います。
 このことは、50年近く前から、どんなに時代が変ろうとも、ずっと創設者が言い続けてくださってきました。
 私は理事長という役を頂戴し、改めて同じことを言い続けることの難しさと、その価値の大きさを、この度つくづくと思っています。
 大事なことを一貫して言い続けてくださった偉大な師と出会えたことを、ほんとうに感謝したいと思います。
 今年は記念すべき第10回国際フォーラムの年です。10回を継続することは、ほんとうに大変なことです。同じことを世界に発信し続け、それを私たちが継承させていただいてきていることは、ほんとうにありがたいことですよね。
 この行き詰まりの時代、極限の時代に「国際フォーラム」という文化が出会う場をつくってきてくださったことの意義の大きさを思います。
 1970年代に、一人の主婦がその場をつくったことの意味の大きさを思うとき、感謝すると同時に、次に私たちがやらなければならないことは、より率直に話し合い、そして向き合っていくことではないか。そのことを次の課題としてもたなければと思います。
 そのためには、やはり足もとの家族、仲間とどれほど率直に話し合い、真剣に向き合っていかれるか。夫や子どもとの関係、姑との関係、嫁との関係、仲間との関係、人だけではなく、物事との関係、そのなかでどれだけ自分をつくっていかれるか。
 足もとでそれを実践していくことは、厳しいことですし、難しいことですよね。通信ツールや電子機器等の技術の発達によって、人間関係の厳しさから無自覚に逃げてしまいがちになっているかもしれません。
 でも、それもその条件と出会うから難しいと感じられることであって、その必然として出会う諸条件と取り組む、その厳しさを通して生き合っていることを確認し、自己成長を図る、そうした一年でありたいと、改めてそれを願いとして年頭に皆さんと共有したいと思いました。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
(新年初顔合わせの挨拶から)
 
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