FOCUS
年頭にあたって


理事長
 金子 由美子
 
 新年あけましておめでとうございます。
 昨年12月に第12回生涯教育国際フォーラムという大きな行事を終え、早や1カ月が経ちます。先ほどの報告から、準備にあたった事務局の方々が、いつもの大変さはもちろんですが、今回は格段に大変だった印象を持っていることを、皆さんも感じられたと思います。「本当にこれで迎えられるのだろうか」とギリギリまで思いましたが、このように皆さんと成功裏に終わった報告ができますことを、本当に有り難いとしみじみ思っています。
 当日のフォーラムそのものは、参加した内外の皆さんから「よかった」という声を多く聞いていますし、アンケートを書いた方がいつもの倍以上で、またお一人の感想が長文であることから、何かを掴んで帰ってくださったことを感じ、とても嬉しく思います。その一方で、現実に準備にあたった側は、あまりの大変さに未だ総括ができないでいる。人間の問題はとても深く複雑だということを、大きな行事を進めていく上で、さまざまな人間同士の葛藤が浮上するなかで実感するわけです。その点において、このフォーラムが持つ意味を、今年一年を通して整理し、収穫にしていきたいと思います。
 さて、お正月休みに年末年始のさまざまな報道に触れ、改めて今年が特別な年であることを思いました。天皇陛下が4月30日に退位され、皇太子殿下が5月1日に即位されます。そして平成から新元号に改元される特別な年になるわけです。天皇の生前退位は、江戸時代の光格天皇以来約200年ぶり、そして憲政史上初めてということです。
 そうした特別な年の始まりにあって、テレビでも平成をふり返る番組が多くありました。私もそこから触発され、この30年を改めて思い起こしました。身近な生活のなかでのことを言えば、今はスマートフォンを手にして、それがないと待ち合わせの約束もままならないと思っていますよね。でも30年前、約束は、電話や会った時に綿密に打ち合わせをして、それで会えていたわけです。ですから私たちは便利な機器が出てくると、知らぬ間に依存していくものがあると、改めて思いました。
 私たちは、1960年代初頭に生涯教育が世界的にスタートした社会的背景には、科学文明が進歩し始め急激に社会が変わってきたと学んでいます。平成は、それから約30年経った1989年が元年にあたります。一般的に、1980年から90年までをバブル期、そして翌年から93年までがバブル崩壊期と言われているそうです。その当時を、私が過ごしてきた時代背景として思い起こしてみると、日本が経済大国と言われるようになり、アメリカのロックフェラーセンターを買収したというニュースを私は結婚直後に聞き、この頃、ジャパン・バッシングが始まったことを思い出しました。皆さんもご自分の来し方と重ねて当時をふり返ることで時代が見えてくるのではないかと思います。
 ある番組では、世界時価総額ランキングの推移が取り上げられていました。時価総額とは上場企業の価値を表す指標ということですが、平成元年には、上位50社のうち日本の企業は32社が入っていたのに、昨年平成30年にはそれが1社だけになっている。また、日本の国の借金は、平成元年と現在を比べると4倍の額、1100兆円にものぼり、借金総額は世界1位だそうです。借金が膨れ上がった要因のひとつはバブルの崩壊で、つまり90年代以降に増えていったことになります。
 戦後からふり返ると、日本は1945年に敗戦し、焦土と化していたところからその約十数年後の1960年代には、既に経済が上向きになり、高度経済成長の象徴として、東京タワーの建設や東京オリンピックが開催されました。そして1970年代の安定期を経て、80年代にバブル期を迎え、90年代にはそれが崩壊していくというプロセスを日本が辿るなかで、私たちは生きてきました。
 同時に世界を見ていくと、平成元年、つまり1989年にベルリンの壁が崩壊し、ソ連の崩壊から共産主義、資本主義の二極対立の世界が終焉し、東欧の民主化が進んでいったわけです。そして一極体制になり、アメリカ型金融資本主義、アメリカ単独覇権が確立され、グローバル主義が言われるようになり、人、物、金の移動が規制緩和により自由になった。その自由競争から生み出されたのが競争社会であり、そこから格差社会が生まれたと言われています。
 2016年、世界の上位1%の富裕層の人が世界の富の約半分を保有していたそうですが、その2年後の2018年には世界の富の82%を独占しているという報告があるそうです。だとすると、最下層の人たちの不平不満は募る一方だと思います。そういう不平不満を持つ人たちも皆スマホを持ち、自分の行き所のない鬱憤を拡散させる。そうした人々が一つの集団となり、その層の一つに支持されているのがトランプ大統領だとも言われているようです。こうしたことすべてが繋がった社会を背景に、私たちの今はあるのです。
 私たちは、時代の流れをどの方向に向けるかを決める一滴です。無自覚に「あれいいわ、これいいわ」と一滴を投じるなかで、時代の流れを変えていく可能性を秘めている。そう考えた時に、この時代背景のなかで自分自身を軸にしてみると、私は結婚したのが1988年で昨年30周年を迎えましたが、この背景のなかで壮年期を生き、野村生涯教育の価値を絶えず学んできたことの大きさを改めて思います。もし学んでいなかったら「皆がこうだから、その時代に乗らなくてはいけない」と今でも思い、もしかしたら夫婦や親子の関係で大きな不調和に繋がったかも知れない。しかし絶えず人さまの関わりをいただき、この学びの価値に目覚めるなかで、経済の好・不景気に依らない大事な価値を軸に据えて生きてこられたことは、本当に有り難いことなのだと改めて思いました。
 もう一つ、年頭の報道で目立ったのは、隣国アジアとの関係です。年明け早々韓国とはレーダー照射問題や徴用工問題があります。また、中国の軍備体制に関わる報道もありました。1月3日には、中国の無人探査機が難しいとされていた月の裏側に初着陸したと報道されました。これは資源開発を優位に進めたい思惑もあると言われています。アメリカと中国の技術競争のなかで、中国は飛躍的に進歩、向上していますし、アメリカとの貿易戦争、覇権争いが起こりつつある現状をみます。私たちはこれまで隣国との関係を疎かにし、アメリカばかりを見てきたように思います。ニュースで報道される隣国との関係は、あくまでも政治や国の立場の問題として見ていても、往々にして私たちはそれに影響され「韓国の人はきっとこう思っているのではないか、ああ思っているのではないか」と思いがちです。一昨年、私は会議出席のため初めて韓国を訪問しましたが、やはり人一人との出会いで繋がるものがあるというのはどの国の方も同じですよね。ですから民間としての役割は大きいと思いました。
 そのなかで私たち民間が主催した国際フォーラムでは隣国との関係を願い、コンタクトを取る努力をしました。そこに、民間ユネスコ活動の繋がりにおいて、初日議長を務められた野口先生のご紹介で、韓国からアジア太平洋国際理解教育センター所長のウタック・チャン氏が参加されました。また長年交流のある中国の修剛先生は、集中セミナーでのプレゼンテーションの折に「野村生涯教育がめざす世界と社会の協調」のテーマでお話をされて、修先生と創設者との出会いが、どれほど修先生の日本に対するイメージを変えたのかを改めて思いました。修先生の教え子である若い日中同時通訳の方たちが、今フォーラムを通して関心を寄せられたことも感じ、フォーラムの意義の大きさを思いました。
 その上で再び時代をふり返ってみますと、平成以降の時代変化のなかで、私たちはさまざまなツールがあって当たり前になりました。パリで開催した第4回フォーラムの折、日本からファックスで書類が届いた時のあの不思議な感覚が、たかだか30数年前のこと、その後驚くべきスピードで科学技術が発展しています。また、特にこの10年の激変は飛躍的で、その一つにスマホの登場があるわけです。電話機能のみならずパソコン機能も同時に備えたことで通信環境が激変し、また一般の多くの人たちがそれを手にすることで、時間が速く進むような感覚が、約10年前から出てきているということです。
 今、本当に社会は皆「早く、早く」ということばかり考えているように思います。社会の環境の変化が速くなればなるほど、人間の意識へ与える影響はとても大きいわけです。私たちの意識にある「早く、早く」というものが、この度のフォーラム実行委員会の人たちにも、大きく占めていたと感じました。
 実行委員会には「“早く”よりも中身が大事」だと何度も言わせてもらいました。そのことは、私の側だけでなく、言われる側の格闘も大きかったと思います。
 事を早く進めることに重きを置き過ぎて、そこに中身の精査がないという問題点と、もう一つ大事なことは、そういう自分の存在の影響の大きさが自覚になりにくいことです。人との関係性のなかで、事を早く進めることだけに視点を置き、その自分の意識が、大きく人に影響を与えるという視点が弱いこと、そこに世代間、人間間の齟齬がたくさん生じました。
 書類づくりにばかり目がいき、書類は生身の人間を表すために作っているにもかかわらず、書類と人間が分離してしまい、書類は書類、人間は人間になっている。私たち自身もこのセンターで学んでいても、時代の流れに流されて「早く、早く」という意識ばかりが出てくる。センターで学ぶ大事な価値を、自分は「わかっている、やっている」錯覚に陥っていたところを、フォーラムを条件に、生身の人間関係を通してそのせめぎ合いをしてきたことが、大事なことだったのだと思います。
 実行委員が率直な思いで報告した中に「ぐちゃぐちゃ」だったという表現にしかなり様がないくらい、人間関係の葛藤や、筋の通らないことの連続に、本部からの指導の意味もわからず、渦のなかで進んでいた。それでも、フォーラムは成功しました。その「ぐちゃぐちゃ」したことと、成功は繋がっていたのです。
 そこに、平成から新しい元号になる年のトップニュースに、近隣諸国との関係が報じられるなかで、本当に身近な関係の、近いからこその難しさを、どう良い方向に向かわせるのかの示唆を得たように思うのです。そしてその近い関係を見ていく一つの大きな実践の場が、私たちの足もとの家庭、家族との関係になると思うのです。フォーラム前後で出てきている個々の問題のなかに、高齢の親の介護、親子関係、夫婦関係がありますが、そうした足もとで私たちが問われているものと、公の行事を通しての人間関係や、実行委員同士の関係において、自分自身が問われている。フォーラムという大きな条件を通して、身近な人間関係の問題を敢えて問うことで、整理がついていない自分の意識というもの、そして収められないものを課題とする。人間は複雑怪奇で難しく、深いものを持った存在ですからすぐにはいきませんが、その課題を視点にもって私はこの1年をスタートしたいと思います。
 この成功の裏にある「ぐちゃぐちゃ」したさまざまな思いをみた時に、蓮の花のことを思い出しました。改めて調べてみると、ご存知の方も多いと思いますが、蓮の花は普通の土では育たず泥沼の中で育ちます。私たちは綺麗に咲く花の方に心を奪われてしまいますが、蓮の花が綺麗に咲くためには、汚れた泥が必要なのです。仏教では、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、そして人間、天人があり、そして仏の世界に向かう、声聞、縁覚、菩薩、仏という十界があるそうで、蓮の花はこの十界の世界を表現しているのだそうです。
 ですから、仏様も、地獄、餓鬼、畜生の泥沼から生まれてきているということです。汚れた泥沼があればこそ美しい花が咲き誇る。私たちは綺麗なものばかりに目を奪われがちですが、泥沼が美しい花が咲くのを支えているのです。
 そして蓮の花には、印象的な特長が二つあります。一つは「汚泥不染」で、汚い泥に染まらないということ。立ち上がってきた蓮の花は、花の上に泥はなく、泥に染まらないそうです。もう一つは「蓮に徒花なし」ということ。咲き損なったり、綺麗に咲かなかった花のことを徒花と言いますが、泥水から立ち上がってきた蓮の花は必ず綺麗に、完璧に咲くのだそうです。泥沼ってすごいですね。
 私たち人間には、この泥沼、ぐちゃぐちゃした整理できないものがあります。それでも一人ひとりがあっちを向いたりこっちを向いたりも確かにしてきましたが、何とか必死に、そして善意をもって進んできました。統率が取れず、共通ルールを忘れてしまうということも多々ありましたが、でも、その善意に偽りはなかったことを、フォーラム成功が証明しているのだと思います。
 その善意、熱意、真心、そういった目に見えない精神の価値を、創設者から有形無形に学び、私たちはさまざまなどろどろとした心を持ちながらも、その精神を何とか堅持しようとするなかで幸せをいただいてきたと思います。
 今年という年をどう展望していくかは本当に難しいです。AI、ITのもとに非常に社会が変わってきていること、そして機械は整然と事を進め、決して寄り道や迷いはしないのでしょうが、人間のどろどろが生み出す綺麗な花を咲かせることもない―喜びも悲しみもないのです。
 この学びは普遍的な人間、人間性の価値を問い掛ける学びです。未来の変革がとても厳しいからこそ、一瞬一瞬、一時一時、一日一日、一年一年を踏まえた展望を持ちながら、人間とは何かという問題を、自分を解明することで世界を解明することになると学んでいます。
 目に見える美しさばかりに目がいく私たちですが、その美しさは、人間のなかで傷ついたり、辛い思いをしながらつくられるものです。近隣諸国との関係も、言ったり言われたりすることを恐れず、近づいていく努力の中にこそ、平和に近づく道があるのではないかということを、このフォーラムから教えてもらったように思いますし、ますます発達する科学技術に制せられない豊かな人間性を育てる教育を、何としても進めなければならないことを思います。
 今年も私たちは、身近な人間同士のなかで世界の状況を踏まえた自分づくりをしていくことが少しでも危険な時代を違う方向に導くことになり、私たちの子孫の代に繋げていくことになると思いますので、今年も皆さんと共に学んでいきたいと思います。
(新年の顔合わせから)
 
公益財団法人 野村生涯教育センター
〒151-0053 東京都渋谷区代々木1-47-13
Tel: 03-3320-1861(代表) Fax: 03-3320-0360
Email: info@nomuracenter.or.jp / intl@nomuracenter.or.jp (for English)
このサイトに含まれる全ての内容の無断転用等を禁じます。
© 1997-2016 Nomura Center for Lifelong Integrated Education